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2015-02-14

京都市立芸術大学
私の母校。芸術の基本を身につけたところ。(もちろん当時は無自覚だったけど)
教えていただいた先生方、それに朝から晩まで365日どっぷり制作漬けの現役学生アーティストたち。
その人たちの中で私は何を言えるのか???なんかできることがあるのか??
いやいや、私もこれまでいろんなことを考えて経験したはずだから、きっと何かできることはあるはず。
でも、非常勤で三日間しか制作を見ていない私が、何を言っても印象論になるのではないか?
そういったことを今回は求められていることなんだろうか??
そうだろうな、でも、印象論を作家本人の前で語るのはしんどい。
技術的なことならなんとか言葉が出てくるかもしれない。
うんうん。
でも、そんなこと、もう先生方が教えているかもしれないし。。。。
うーん、このお話し、受けるべきではなかったかも。報酬をいただけるような仕事ができる自信がないなら、今からでもお断りのご連絡をさせていただいた方がいいかも。。。
うーん、それではあまりにも幼稚じゃないか。
お話をいただいた時点で、私に何かできると見込んでいただいたはずだから、精一杯やるしかないんじゃないの?やっぱり。
じゃあ、その精一杯ってどんなんなんだ??




とか、思い考えながら歩いた三条通に白川沿い。
2月10日、京都芸大の卒展講評会に呼んでいただきました。
会場に向かう間にどんどん緊張してきて、手に汗じんわり、ブーツの中の靴下も変にじっとりまとわりついて、いつもはできない靴擦れも発生する始末。
会場に着くと、あらあら、まだオープン前の設置作業日。周りはざわざわ。
「何時頃講評会が始まるのかなー」「今のうちに作品をじっくり見て、いろいろ考えておこう」と思って展示部屋をうろうろ。
一時間ほどたっても、講評会らしきものは始まらない。
うーん、こんなんでいいのかな?いいのかな?緊張の上に、そわそわ感が大きくなってくる。

のど飴を食べて落ち着こうとしていると「先生、作品を見て下さい」と学生さんが来ました。
「熱心な学生さんだなー」と思って作品を見せてお話をしていると、解った!
講評会は、先生方がまとまって一つの作品を見てまわるのではなく、先生方に学生が自主的に声をかけたり、気になる学生にこちらから声をかける形式だったのです。
え?私の学生の頃ってこんなんだったっけ?すっかり抜け落ちている記憶。。。
そうだなー、きっとそうだったんだなー。学生の時から私、こういうシステムだったってこと、解っていなかったんだ、きっと。。。。ああ、やっぱりかなり抜けている学生だったんだ。
自分の変わらない抜け具合を再認識するも、ここから奮起。
「そんじゃあ、個人的にできることを、伝えられることを、精一杯作品と作家に向き合って話そう」
身振り手振りも交えてどばっとしゃべりました。
タイムアウトでそんなに沢山の皆さんとお話できなかったことと、気になった作品の作者にもこちらから声をかけるタイミングがなかったことが残念。
でも、来年も非常勤に呼んでいただいているので、来年はもっといい仕事ができるはず。
そう自分を鼓舞します。

京都市立芸術大学作品展。
一昨日は車を飛ばして学内展示も見に行きました。
力作がそろっています。

造形とは何だ?
何を造形するんだ?
私は何を造形しているんだ?
車の中で叫びました。

根源的なところで大変刺激を受けました。

子供と大学の仕事と向き合っている時間は、自分の制作ができない現状。
正直なところ頭の中ばかりが肥大してる感もあります。
認めたくなかったけど、この状態はやっぱり作家業「休業中」に限りなく近い。
だけど、今は私の人生においてとても大切な時間です。

夫と話しててもよく出てくるんだけど、私は私の生を生きて、私の仕事をして、それで世間からぱっとしない作家だという評価を受けるんだったら、それはしょうがないことなんです。
以前「世間が(作家としての)私を生かしてくれないんだったら、それは潔く受け止めて(作家としての私は)死んでもかまわない」と考えていたところがあるのですが、今は「絶対死んでやるもんか(制作をやめるもんか)」です。

あれ?以前も同じようなこと書いた気がする。。。

京芸の講評会である学生さんが私に言いました「先生の話しを聞いてから、私、本当に就職しても良かったんだと思えました」。
そんなこと言ってもらえたら、私も勇気が出ます。
私も今こんな状態で、でも、この生活をしたいんだから、これでいいんだ。

息子が昼寝から起きてきました。
誤字脱字チェックする時間無し。
そのままアップ^^

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