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開始です [おしらせ]

お久しぶりです。
世の中の流れの速さに乗り切れなくて、とんとご無沙汰になっていました。

いろいろ経験して、もっと自分の仕事や考えていることを発信しないといけないなと、思いました。
ですので、今、自分の仕事のサイトとステイトメントのまとめ、などなど行っています。

このブログも復活させいたいです。


膨大な情報が消えたり、忘れられたり、腐ったりせずに積み重なって行くこの世界。
新陳代謝もせずにサイクルもせずにそのまま残るものが、とても気持悪く、それらの情報に呪われているような気分になった時もありましたが、何とか大切な道具・素材として使って行けるようになりたいと思っています。




2015-08-17

今日もやってしまった。
ぽっかりの日

昨日まで京都の実家にお世話になっていて、今朝は少々寝不足の中、息子を保育園に送り届け、「今日は何だかしんどいからバスに乗ろう」と思っていたらバスは運休。
何だか標高が高くなるほど蒸し暑くなるやん(大学は山の上にあります)。。。と思いながらエスカレーターに揺られ、どんどこ歩いていくと、立ち寄ろうと思っていた事務室が遠目に見て暗い。
ああ、やっぱり、、、、。
バスが運休しているくらいだから気付けばいいのに。学校の事務は全体的にお休みでした。

それでも通っている先生や学生はちらほら見られて。
だけど自分の研究室がある棟には人気がなく。

またぽっかりとした時間が。


でも、気付きました。
この時間は時間で意味がある。



2015-08-14

先日大学の公開講座が終了しました。
ヌードモデル使用のドローイングを基礎とした三日間の講座でした。
私にとって大学の公開講座は初めての試み。
こられた方は11名。
平均年齢は60歳中ばの方々。

頭が下がります。
熱意と意欲をすごく感じます。
三日間、みっちり人体に取り組んでもらったのですが、皆様びっくりするくらい変化されました。
最後に「良かったです」と言ってもらえて、私もとても嬉しい。

今は子供も小さいので、なかなか自分で企画できないのですが、大人対象の美術ワークショップ(講座)の必要性はずっと前から感じています。

また機会を作ることができれば、ぜひとも考えたいです。









2015-08-01

昨晩は久しぶりに眠れない夜でした。
(悩みがあったとか、そんなのではないですよ。)
まず、蒸し暑い。(エアコンつけて寝ていません)
それに、月明かりが明るくて。
それに、月明かりのせいかもしれないけど、なんと!蝉が12時過ぎまで鳴いていた!
そして、夫曰く「蝉じゃないよ。なんかキリギリスみたいな種類」の昆虫が「ギーーー!」っと断続的に新聞配達のバイクがまわる時間まで鳴いていたから。
最後に、多分、夕食時にいただいたお酒のせいで、からだが熱っぽくて。
ついでに、毎晩のことだけど、一緒に寝ている息子がゴロゴロ移動しながら「お母さん(私)」と言う障害物を蹴ったり、押しのけようとしたから。

ま、蝉の件は「月明かりが原因かも」と気づいたときから、許せる案件になったのですが。

1時頃に水シャワー浴びて、2時過ぎまでごろごろして、また寝床に入りました。
多分4時頃に大分涼しい空気が入ってくるようになって、そこから寝たような気がします。

今朝は6時過ぎに「なんかたべたいなー」と言う息子に起こされました。
今も不思議とあまり眠くはありません。

しかし、昨日はすごく明るい月でしたね。
夜って月の満ち欠けの状態によって、明るさが違います。
それを毎晩感じて暮らす。
そんな生活ができればいいな。




2015-07-29

>伏見区深草飯食町<
「実家近辺」の愛しさに改めて気づいた私。
。。。でも、だからといってそれが作品のテーマになるわけではありません。
いくらなんでもそんなに短絡的ではないですよ。
ただ、自分を構成しているものの大切さを実感している今日此頃なので、そこから生まれてくるものを消してしまわずに、ちゃんと見て、そこからまた発展させて行きたいなと考えています。
現在、来年の1月に二人展を、6月に個展を予定しています。前回の「ENDLESS」で発表した「WORLD」の世界を掘り下げて深めた作品を作るため、今、いろいろなかたちを試しているところです。相変わらず写真を載せないですみません;;;
写真を撮る習慣がない、というか、普段から撮らないようにしているので、なにとぞお許しください。

私の実家周り。
かなり下町なんですが、でもやっぱり見所はある町だと思います。
そこはやっぱり、たとえ洛外、外れ(深草って深い草で覆われていた土地って意味ですし。「深草の少将の百夜通い」の地でもあります。)であっても京都かな。。。と、思います。
いろいろな意見があると思うのですが、私は京都らしさって「融合して暮らすこと」だと感じています。
都市と自然。
歴史と現在。
ご近所さんと個人。
閉塞感と開放感。

そこは奇麗も汚いも融合した、とても人間らしい営みの上に築かれた町です。






2015-07-18

息子を寝かしつけているとピンポンパンポン!と防災放送が鳴りだした。
「わ、結構夜なのに、何があったんだろう?」と思って、とりあえずネットで調べたら近くの小学校区に「非難準備」が出たみたい。
何か大きな音が鳴って、お母さんは起きて緊張しているみたい。子供はそんな状況で不安になったみたいで「ぴーぽー、なった。かじ(火事)。かじ(火事)。」とつぶやき、ちょっと怯えて眠りました。
そして、しばらくしたらまたピンポンパンポン!と防災放送が鳴りだして、今度もよく聞こえなかったので、ネットで調べると前の「非難準備」が「避難勧告」になったみたい。
私の住んでいる所はほぼ100%大丈夫だと思うけど、今日は夫が出かけている日で家には私一人。私一人で子供を守らなければと思うと、なんだかやっぱり眠れません。

母親の立場としては、周りから見たら「もうちょっと抜いてもいいんじゃない?」って所でも、不安で緊張する場面が多い。。。。私はその傾向が強い気がする。

今日は仕事が残っているんだけど、ちょっと手が付けられない。
子供を安全な場所に移動させるシュミレーションを繰り返していると、それだけで頭が疲れてしまって。。。。怠け癖をごまかす言い訳かもしれないけれど。

それで、ちょっとブログにでも書けば気持ちが落ち着くかな?と思って書き始めたんだけど、うん、やっぱり少し落ち着きました。

さあ、これから仕事です。




2015-07-15

昨日は帰宅すると、息子がyoutubeでムーミンを見ながらご飯を食べさせてもらっていて、そして、さらっと「おめでと」と言った。私に向かって。
感激です。

ご飯は夫が準備してくれて、イベリコ豚のベーコンが入ったサラダ。バタールにフォアグラやレバーのパテ。そしてチーズにランブルスコ。
なんと!バースデーケーキまで準備してくれてました。
ろうそくは3本しか立てられなかったけど、息子と一緒に何度もフーフーして火を消しました。
願い事なんか考えられなかったです。
ない。
そんなの、ない。
願い事なんか必要ない。
って、感じるくらい幸せを感じた瞬間でした。

息子を寝かしつけてからも録画していた番組、沖縄の「組踊」や「IPPON GRAND PRIX」なんかを観ながら二本目のカタシモワイナリーのシャルドネを開けて、夫ととりとめないことを話して、それから寝たのは2時を過ぎていたような記憶です。

そして、今朝、起きてきた夫から「昨日渡し忘れた」といって、お誕生日のプレゼントをもらいました。
フローライト(蛍石)でできた卵。

お誕生日がこんなに特別な気持ちになれる日だなんて。
ありがとう。

夫にされた質問「この一年はどんな一年にする?」
私「深めたい」

今あるもの、家族とのつながりや、仕事でのつながり、学生とのつながり。そして思考や技術や作品そのもの。
この一年は深めたいです。

2015-07-14

そうだ!
今日は私の誕生日だった。
こんな幸せで忙しい43歳を想像する事なんてできなかった。
今日は感謝する日。
何よりも家族に感謝します。

2015-07-14

>伏見区深草飯食町<
私は聞かれると「京都出身です」とこたえるのだけれど、育ったところ「京都市伏見区飯食町」は言う人に言わせると「全然京都ではない」らしい。
初めてそういう指摘を面と向かって受けたのは大学の授業での自己紹介の時。「出身は京都です」といったところ「京都の何処?」と聞かれたので「伏見です」と言ったら上記のような事を言われた。
まあ、その人はお茶の講義をしたり、所謂京都っぽい事を研究している人だったので、そういう事を言ったんだと思うけど。
で、そのとき初めて、自分の生まれたところを否定された気分になった。もちろんというか、私の育ったところ、京都市伏見区深草飯食町は雅やかなところでもないし、間違いなくガラの悪いところ。だけど、まあ、藤森神社やお稲荷さんや、宝塔寺、七面山、鎮守池なんかは私の宝物の場所でもあるし、そんな差別的な事を言う人の事なんて気にしなければいいんだけど、やっぱりちょっと、自分の故郷を否定する気持ちが芽生えました。それが20年ほど前の話かな?
作品を発表するようになると「寺島みどり 京都出身」というようにセットで書かれる事が出てくる。そうなるとちょっと自分でも所謂京都らしい事をしなければいけないのかな〜とか思う事があったりしたんだけれど、数日前、実家に帰る事があって気がついた!
「このグレー、今の私の色彩だ。」
それは名神高速道路の橋脚の色。疎水の流れの色。疎水に架かる橋の石の色。そして、京阪電車が通る音、高速道路の下で聞こえるあの独特な空気がうなるような音。藤森駅から見る夕暮れ、川面に映る灯。
どこかとりとめがなく、さまよいながらそれでも存在している。
今の作品の原風景が此処にある。そう気づいたとき、今まで封印していたような幸福感が蘇ってきた。じんわりと。

2015-07-14

こんにちは。
あっという間に時間が過ぎてしまい、ブログもほったらかしでした。
でも、アップすることは沢山あったんです。
何よりもART OSAKA2015 の企画展に出品させてもらっていたんです。
諸先輩方のお仕事に囲まれて、大変勉強させていただきました。
出品作品と会場写真は下記facebookリンクの方でご覧いただければと思います。

https://www.facebook.com/midori.terashima/media_set?set=a.1178512072164279.1073741829.100000164929877&type=3

それから今読んでいる本の事とか、実家に帰って改めて気づいた事とか、これからの発表の予定とか。
しかしまずは、前のアップで体調を思いっきり壊していたと報告していましたが、今は元気です!!!という報告でしょうか^^




2015-05-11

きがつけば〜
五月も半ばに〜
みどり濃く〜
五月もとうに溶け散った〜

案の定、内蔵をやられ、暫くお粥さえ口にしたくなく、、、
頭がもうろうとし、8+3は????。。。また解らなくなってきた。。。と悶々としながら、でもご飯は作れるよ!とだらだら動き、、、

しかし!体は回復してくれるんですね。ありがたい。

これからは、緑茶もがぶ飲みしません。
嗜好品は何でも過ぎてはいけませんね。

ですので、コーヒーを昨日から再開しました。
一日一杯です。




でも、夕方近くにいただいたので、夜が眠れなかったです。4時頃まで。。。

息子の横に寝ていて、彼と初めて添い寝をした時のことを思い出し「大きくなったね〜」と、ちょっとほろりと来ました。
でも、これからもっともっと大きくなるんだね〜。

もうお母さんは、寝相のとても元気な彼の障害物になってきています。
そろそろ別々に寝ることを考えなきゃね。


2015-04-18

夫がギャラリースペースをオープンさせました。
こけら落とし(?)の南條敏之さんの作品はもちろん見応えのあるものなのだけど、ここは、私の夫のことについて書かせてほしい。
彼は東京生まれの東京育ち。それに大学も就職先も東京という生粋の江戸っ子(?)であった。
初めて出て行ったのは、韓国のギャラリー(ディレクターとして)。
そこから当時私が住んでいた門真に来て、そして結婚。そうしてから京都に移り住んだ。
移り住んだ京都の場所は、もう、ほんとに良いところで、緑豊かな神社の隣。そして駅近。御所近。鴨川近。そしてスーパーも、おいしいパン屋も、お惣菜屋さんも、病院も近い(私は徒歩圏の病院で出産した)。京都のあらゆる観光名所にアクセス簡単。でも、静かで穏やか。それに、アーティストが本当にたくさん住んでいるところで、私たちはのんびり楽しくそこで過ごしました。
そこから私の就職に伴う、八尾への引っ越し。

正直なところ、彼の仕事、アートディレクターにとって、京都の好条件地から、人の流れの起こりにくいところ、八尾への場所移動は好ましくなかった。
しかし、彼は子供のことも考え、今はこんな時期だと割り切ってくれたようだった。

でも、今日、彼のギャラリーがオープンした。
それは、ハンドメイドのとても小さなスペース。
だって、以前私たちが住んでいた場所だもの。
以前の玄関とリビングを改装して、作品展示場所にしたのだ。

私はこの作業に一切関与していない。
で、今日初めて、そのスペースを見てびっくりした。
確かにハンドメイドなんだけど、彼が「こんな風にしたい、あんな風にしたい」という気持ちがひしひしと伝わってきたからだ。
大したものだ、かれは3月中はずっと別の仕事に取りかかっていて、帰ってくるなりすぐに改装に取りかかり、二週間足らずでこの場所を仕上げたのだ。その中でも限られた時間の中で。。。にわかにできることではない。あたためてきたものがあるからこそ、この場所ができたのだ。

私はそのスペースを見てなんだか「ほっ」とした。
いろいろな感情がわき上がって来た後、ああ、私はこれからなんにもしなくていいのだ。という思いで満たされた。
客観的に考えてみれば、京都のこんな良い場所で展示スペースを持てるなんて、実力と運がなければ叶わないことだ。
それに、なんというか、やっぱり私は彼に引け目を感じていた。私の都合で彼のやりたいことを阻害していないかと。
でも、今日彼の作った、そして彼の運営する展示スペースを見て、ここが彼のスペースだったんだと感じたのだ。

このスペースを運営するのは、多分まだまだ困難なこともあるだろう。
だけど、きっと彼のペースで彼のスペースを作ることが出るだろうと思う。

何よりも、私はこの新しくできたスペースで、自分の作品を発表してみたい。

初めての気持ちだ。



HRD FINE ART
http://www.hrdfineart.com/top.html



2015-04-11

今びっくりしたことがあって。

ちょっと夏に企画展に呼んでもらったので、自分の名前を検索なんかしてみたんですよ。(もしかしたらもうその企画展がらみの情報がアップされているかもしれない、と思ったんですよ。なんか嬉しいんですよね、ネットに自分の情報を乗っけてもらえるって。)

そしたら、https://twitter.com/hashtag/画家 というのに、自分の言葉があったんですね。
私、ツイッターしていなので、よく仕組みを知らないんですけど、sayuriさん?って方がtweetして下さったみたいです。
(それも何回もして下さっているみたいなんですね。https://twitter.com/hashtag/寺島みどり?f=realtime&src=hash)
その言葉は
「私は世界を美しいと思う。今私が想像できるものよりきっと美しい。絵を描きながら、その見えない姿をずっと追い続けているのだと思います」

これ、何時頃の言葉かうろ覚えだけど、読んだ瞬間「ああ、私変わってないな」と思いました。
多分、この言葉を出した時とは目に見える作品スタイルなんか変わっているんだろうけど、根本は変わらないね。
今でも世界は美しいと思っている。私が今想像できるよりも、もっと、ずっと。
そしてそれを追い求め続けることが私の仕事だと思っています。

こういう詩的な表現で最近言葉を発したことがないな。
画家って、、、、というか、人間って、結構夢のある言葉の方が、人ってひきつけられるでしょ?隙間のある言葉っていうか、解釈の余地がある言葉っていうか。
それって人に話す時はいいんだろうけど、自分の思考を進めていく時は、ちょっと曖昧になり過ぎるきらいがあって、私の中できっちりかっちりしていこうキャンペーンをここ数年やっていて、でも、実は今ちょっと限界を感じているところでした。
言語表現ではなく、絵画表現、芸術表現なんだよね。

はぁーーーーーっ。(ため息)
実は3月は制作する気満々だったんだけど、夫の長期出張で、その精神状態になれず。。。(子供を一人で守るのって、想像してたより精神的プレッシャーがきつかった)
4月になってからは授業がまわり始めて、またまた時間が作れない状況になってしまった。
そうなのです。作家業開店休業状態継続中なのですよ。

でも、毎朝「今日こそは!」そして一日の終わりに「明日こそは!」って決心しています^^;
それに夏に出す作品も良いものを出したいから、またドローイングから始めて、油彩を仕上げたいぞ!!
と、思っていた時に見つけたのが、上記の自分の言葉。
なんか運命を感じましたね。大げさだけど。

さ、今からもまたがんばるぞ。
今日はお好み焼き。

PS
sayuriさんありがとう。誰かお礼の仕方教えて下さいー。

2015-03-26

寂しいですね。春は別れの季節です。

Eテレ。

私は独り立ちしてからずっとテレビのない生活をしていたので、去年のソチオリンピックを見る為に購入してからは、何となく番組とつきあってきました。
でも、子供がTV番組に興味を持ち出して、朝の忙しいときにちょこっとみさせて、その間に準備とかをする具合に使っていたんですけど、いつの間にか私がはまっちゃった。

なんせ、今の子供番組は子供が主人公で、踊ったり歌ったり、いろんなことに挑戦したりしてとにかく「かわいい」。それに同じ番組でもちょっと前に収録したコーナーだったりすると、子供だから成長が早いせいで、幼い顔がそこにあったりで「ああ、成長したのね」って、しみじみする。(「ハリー・ポッター」の映画もそんな風にみて楽しんでいたね。)
結構、そうだと思うんですよねー。「お母さんといっしょ」のエンディングの歌に励まされたり。。ね。

それで先週「キッチン戦隊クックルン」が終わってしまった。そして、今日は「シャキーン!」の二人が卒業してしまった。。。。
寂しいです。
でも、今まで私のような大人のおばさんを楽しませてくれてありがとう。
一生懸命な姿と、どんどん成長する様子に、何か大切なものを教えてもらった気がします。

失うことは怖いです。
楽しく、かわいいものを失うことは、悲しくて、寂しいです。
だけど、それがこの世界が回っている証でもあり、どんどん新しいものが生まれてくるための約束でもあります。
だから、この世界が美しくある為に、私は手放さなければならないものを解放し、それが美しく羽ばたいていくのを見つめるようにしよう。

ただのTV番組かもしれないけれど、自分が歳を取ったことが本当によくわかるよね。
後20年後には、また違った見え方がするんだろうね。きっと。

その時は今よりもっともっと、澄んだ目になっていたいな。

2015-03-24

昨日の晩は謝恩会でした。
八尾の日本料理店で開かれた会は、もちろん女子、女子、女子!
男子は先生一人と、私の息子(およそ二歳)のみ。あ、それから厨房のお兄さん二人。
若くてきれいな女子ばかりの集まり(みんな盛装)は、見ているだけでなんか和みます。

ちょっと精神的にまいっているときに「今が一番つらい時(年齢)なのよ。」とアドバイス頂いたことは忘れられない。
女子のリアル厄年、30を過ぎてちょっとしたぐらいから。
体も変わるし、身の回りの状況も変わる。
根拠のない自信もすり減ってくるし、ぼけっとしても助けてくれる人もいなくなってきて、自分自身もだんだんトゲトゲしてきてしまう。
私の望んだ世界はこんなはずじゃなかったぁーぁーぁー。
とか言って現状に焦りまくる。
私の場合、このとき初めて自分を正確に値踏み、というか自分の価値?市場価格?を冷静に見極めざるを得なくなった。

もがきましたねー。
それまで、運と勢いで生きていたから、積み上げてきたものなんて何もなかった。自分に信じられるものなんて何もなかったんですよ。更にそれを無意識に人のせいにして「どうして私はこんなに不幸なの?」状態だったから「誰か助けて!私、こんなに一生懸命やっているんだから!」って悩んで泣いても、全く何かに向けて行動することをしなかったです。
その辺りの時にいただいたのが前述の「今が一番つらい時(年齢)なのよ。」という言葉。
誰でもこのつらさを乗り越えているんだって、教わりました。ある意味皆が通り抜ける「儀式」。

絵画始めましたよ。乗り越える為に。
自分で生活作りかえましたよ。これからを生きる為に。
誰にも助けを求めない。これが合言葉。
私はその時まで自分の育った環境や受けた教育を、真剣に振り返ることはなかったんですが、そのとき、いろいろ思い出して、自分はいったいどうやって自分になったのか探りましたね。
当たり前と思っていたことも、見つめ直して弱いところを良くしていこうとしました。

そこから、今の私が始まった気がしています。

だから、謝恩会でも学生の姿を見ていると、何も言えなくなってくるんですね。
きっと、みんな笑顔の底に、疑問や恐れや人に言いたくても言えないことをたくさん抱えているんだと思うんですが、まあ、生きてみなはれ。です。
精一杯生きていたら、誰もが通り抜けてきた試練があなたにもやってきて、あなたはその時何かを始めることになるだろう、ということです。
私が言うのもなんですが、人生はずっと続いていくんです。
今目の前の道は暗くてあまり見えないかもしれないけれど、あなたが通った後は光り溢れているように願います。
その一つ一つの明かりが大きくなって、また次の世代の明かりになればと願います。

ご卒業おめでとうございます。

2015-03-22

暖かく、日差しも優しい。
明日が寒くなるって、信じられないですね。
風が出てきました。
天候が変化する予兆でしょうか。

真っ白いスケジュール帳に思う、日々の雑務。
これはとても充実した日々だけど、残るものは何もない。
いわゆる「主婦」の友達が、「自分のことをしたい」というのを聞いて、よく理解できていなかったんだけど、今は何となく理解できそう。
残るものは何もない。
子供の成長、もしくは家庭が滞りなくまわっていくのが、自分の証なのかと考えると、全精力を注いでいるそれらには、自分が見つからない。そんな感覚。

それが母親(家庭)っていうものなんだから。
と言われるとイラッとくるのは、あんたの感覚で私の人生を決めるなと思うからだろうね。

私の息子はかわいいぞ!
ぼっとしていると、チュウしてきたりする。
さすがに私からはしないけど。
ごめんね未来の彼女さん、彼のファーストキスはお母さんにぶちゅーだから。







2015-03-14

書きたいことってその瞬間を逃すと忘れてしまいますね。

出産直後は、異常に物忘れが激しくて、お隣さんのお名前とか、近所の学校の名前とか、全然出てこなくて唖然としたし、それに、計算も全然できなくって「3たす8」をうんうん考えていた。
そういえば出産前に送られてきた採用の書類とかも、見るだけで「こんなんできひん」と泣いていた。
新しいことに対応する能力がほとんどなくなっていたなー。
主に夫に助けてもらっていたんだけど。

3月になってちょっと時間ができると喜んでいたのもつかの間。
先日後期日程の試験が終わって、事態は急速に新学期へ向かう。

NHKの番組で無差別爆撃についてやっていたんだけど、久しぶりにTV番組で焼死体をたくさん見た気がする。
印象的な言葉「(爆撃をするときには全てを忘れなければならない)3歳の女の子が焼かれながらママ!と叫んでいることも、忘れなければならない」
というようなことを太平洋戦時のアメリカの司令官がいっていたらしい。

小さい頃はもっと戦争関係の番組をやっていた気がする。
悲しい話しや、怖い話し、納得いかない話しを聞いて、私は父に聞いた「なんでそんなことすんの?」
父の答えは「それが戦争なんだよ」

あー。本当にそれが戦争なんだな。

PS
先日もアップしたの鼻梁の傷。私は目立たないと思っていたんだけど。夫には「(くすっ。)やっぱり目立つね」
と、いわれた。

2015-03-04

Nick Caveのノートが素晴らしく、私も影響されてスケジュール帳は先年までのシステム手帳風からダイアリーチックなものに変更。

で、お騒がせした傷の報告も兼ねて写真をアップ。
2015-03-04 14.53.jpg
すごい!写真、目が大きく写る!!別人です。
眉間にはうっすら傷が残っていますが、あまり目立ちませんね。
先生のご助言通り、できるだけ絆創膏を貼り続けたおかげかも。
アレルギーで顔が赤くなっているのも関係しているかも。

自撮りを載せようとするなんて(しかも顔は粉がふいているのに)春の予感で浮かれているんだと思います。

さ、今期一年は書いて描いて、残していきましょう。

2015-03-01

3月が始まった!
緊張づくしの2月が終わった!!

もうすぐ春だ。
鶯も泣き始めた。
イヌフグリの花も咲きだして、柳の先もうっすらと若芽に染まる。

2月を抜けただけで、こんなにも気持ちが軽くなる。
何をしようか。どうしようか。
今日がどれほど冷たい雨だって、なんだか希望がわいてくる。

眉間の傷も思ったより上手くくっついてくれた。
そして、コーヒーを止めた。
大好きなコーヒーはどうしても飲み過ぎてしまう。
節制する事はできない気質なので、すっぱり止めた。
同時にワインも止めようかと思ったんだけど、それはいくらなんでもやり過ぎな気がしたので、とりあえずはまとめ買いをしないように、家にためておかないことにした。

そうすると、少し体調も少し良くなった気がする。
目が見えやすくなった。
咳もしないようになった。
すっきりきれいにとはいかないまでも、なんだかやる気も出てきた。

3月は、油彩を触れそうだ。
そんな気持ちになるだけで、嬉しくなる。

2015-02-23

3ヶ月ほど前から喉や鼻づまりや咳やで、おねんねの時のお歌を歌うのが苦しかったり、目やにで目が曇って見えなかったりしていたんですが、そろそろもう限界かなー。
今日もいつもの「大きな古時計」を歌ったんですが、息継ぎが苦しくてちゃんと歌えなかった。
ああ、もうだめかなー。
昨日あたりにちょっとましになった気がしたんですが、今晩は喉の腫れがまたひどくなってきて。
11月頃に耳鼻科に行ったんだけど、熱がでないのが不思議だと言われ、、、。

ああ、冬だな。
冬はいつも体調を崩す。

さっき子供を寝かしつけているときに思ったんだけど、元気な時なら病気にも「よっしゃ!負けへんでー」と言えそうなんだけど、果たして体が弱っているときにそんな気になれるんだろうか。。。。
なれない気がする。
しんどいのが通常になっていて「ああ、このままなくなっていくのかな。。。」ってなってしまいそう。

だから私には側にいる人が必要なんだなー。

そう考えると、夫の忠告にも素直に従えそうな気がする。


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